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『つぶやき岩の秘密』について(1)

平成13年11月29日UP
平成14年3月31日加筆修正

目  次
PART1 1.少年ドラマシリーズと『つぶやき岩の秘密』
2.新田次郎と原作 
    (1)写実的描写 (2)サウダーデの感覚 (3)主人公の性格造形
PART2 3.原作との違い
4.ドラマの謎を原作から読み解く

   (1)つぶやき岩の崖の老人はどこから出てきたか?
   (2)亀さんの死因は?
   (3)”松浦の亀さん”の”松浦”とは?
   (4)神社と白髭さんの家の距離が長すぎる?
5.地理とストーリーの関係
6.原作とドラマ
PART3 7.三浦半島の描写
8.『遠い海の記憶』と音楽

 

1.少年ドラマシリーズと『つぶやき岩の秘密』

 1972年の『タイム・トラベラー』以来、多くの名作を生み出したNHK少年ドラマシリーズ。”少年向け”と銘打ちながらも、題材の良さ、真面目な制作姿勢から、現在でも支持するファンも少なくない。
 少年ドラマシリーズは、『謎の転校生』など眉村卓、光瀬龍、筒井康隆等原作の少年向けSFや、『僕が僕であること』(山中恒原作)等、少年の日常生活に密着したドラマが多く、その意味では『つぶやき岩の秘密』は傑作であると同時に”異色作”であったともいわれる。
 『つぶやき岩の秘密』は、昭和48(1973)年に放映された。第一話から第六話まで、各15分の構成になっている。放映当時も見ていた記憶が残っている。少し暗めのトーンとシリアスなストーリーのために、当時は今一つドラマの中に入り込めなかった。だが、どこか記憶の片隅に残り、気になるドラマだった。

2.新田次郎と原作

 『つぶやき岩の秘密』の原作者は新田次郎(1912〜1980)。本名は藤原寛人。長野県諏訪市に生まれ、気象庁に勤めながら小説を書き続けた。富士山頂の気象レーダー建設の指揮を取ったことでも知られる。夫人の藤原ていも満州からの壮絶な引き揚げを綴り(『流れる星は生きている』)ベストセラーになった。
 小説家としては直木賞を受賞した『強力伝』を初めとする数々の山を舞台にした小説で知られ、
NHK大河ドラマにもなった『武田信玄』など多くの歴史小説を著した。また、明治にアラスカに渡り、ジャパニーズ・モーゼと称されたフランク安田の生涯を追った『アラスカ物語』という好著もある。
 彼の著作の特徴は、徹底した調査に基づき、骨格がしっかりしたリアルな構成を持つということだろう。地味ながらも質の高い作品を著した人だと思う。

 さて、原作は1972年、新潮社より発行された(現在は絶版)。新潮少年文庫の一冊として刊行されたが、このシリーズは文庫と称しながらも、ハードカバー、ケース入りのしっかりした作りだった。全10作で作家は星新一、水上勉、田中澄江、吉村昭、戸川幸夫等が名を連ね、”大人”向けの作品を書いてきた作家が、少年向けのものを書き下ろしている。三浦哲郎の『ユタとふしぎな仲間たち』もこのシリーズに収められている。
 子供の頃、両親がこのシリーズの殆どを買い与えてくれ、今も本棚にあるが、『つぶやき岩の秘密』だけは読むことができなかった。好きな作家の本だったこともあり、この作品は、私には”幻の名作”だった。(先日図書館で読むことができました)
 新田次郎はその頃生まれた孫二人に自慢できるような少年小説を書きたいと思い、このシリーズの企画に参加したという。

 物語は三浦半島を舞台にしている。新田次郎は昭和46年(1971)、代表作の一つ『八甲田山死の彷徨』を著した。この作品は三戸浜の新潮社保養所にこもって書かれた。新田次郎は三戸浜周辺の自然を愛し、毎日散歩を楽しんでいた。このときの経験をもとに、『つぶやき岩の秘密』が生まれた。
 『つぶやき岩の秘密』のドラマは、オールロケ、フィルム撮影、英語版作製と、少年ドラマシリーズの一作としては破格の環境で制作されたと思う。当時新田次郎は最高の人気作家の一人であり、出す作品は殆どすべてがベストセラーになっていた。NHKにも新田次郎作品のドラマ化ということで、並々ならぬ熱意があったのかも知れない。(後にスウェーデンでも放映された)

 『つぶやき岩の秘密』は新田次郎の作品としてはあまり有名ではなく、NHK少年ドラマシリーズの一作として記憶に留められることが多い。だが、原作には意外にも新田次郎の特徴がよく出ており、ドラマにも引き継がれているのではないかと思う。ドラマは若干の構成の変更、内容の省略はあるものの、三浦半島の当時の美しい自然や人物がリアルに描写され、構成もしっかりしている。新田次郎原作があってこそ、あの映像は誕生したのだと思う。

 まず、新田次郎という作家の特徴、そして原作から『つぶやき岩の秘密』の魅力を探ってみたいと思う。

(1) 写実的描写

 『つぶやき岩の秘密』の原作の中で、小林先生が夏休みの宿題(作文)を出し、生徒に説明する場面がある。新田次郎の文章に対する考え方が現われているようで興味深い。

「……たしかに作文は文章をこしらえることですが、文章をこしらえるとか作るというふうに考えてはいけません。作文は、みなさんが、みなさんの眼で見たもの、感じたことを、いつわらずに、そのまま書くことなのです。……ただ眼で見、手に触れ、心に強く感じたようなことを取り上げて、そのときの気持ちを素直に書けばいいのです。……作文は作られた文章であってはなりません。自分の心の中に起きたこと、自分の眼で見たり、感じたりしたことをそのまま書き表すことが作文なのです」

 また、小林先生が、紫郎が書いた作文に対して感心する場面もある。

 思わす賞賛のため息が出るほど紫郎の文章はなめらかに書いてあった。特に飾った文章でもなかったのに光って見えるのは、紫郎の主観がはっきりしているからだった。眼がそのものにぴったりとくっついて離れないからであった。紫郎は海岸に打ち上げられている貝のかけら一つも見過ごしてはいなかった。紫郎が書いた海はほんとうにきれいだった。

 この引用した部分には新田次郎の文章に対する考え方が良く出ていると思う。紫郎の作文が、自然を写実的に描写していることを評価しているが、単に写実性にとどまらず、その背景には新田次郎の自然を観察し、愛する気持ちが込められていると思う。それはそのままドラマの魅力に引き継がれているようにも思う。

 新田次郎の長女・藤原咲子さんは幼い頃、満州より引き揚げ、その時の栄養失調が原因で、言葉の発達が遅れ気味だった。新田次郎は咲子さんの言葉(と情緒)の発達を促すため、作文指導をしていたという。
 原作のこの部分には、そんな背景があり、逆に咲子さんへの指導の様子がうかがわれると思う。

(2) サウダーデの感覚

 新田次郎の遺作は毎日新聞連載されていた『孤愁サウダーデ』だ。ポルトガルの海軍中佐だった主人公・モラエスが日本に惹かれて住み、日本人の妻を亡くした後、その墓を守って故郷を想いながら徳島で没する。(残念ながら作家の死により未完に終っている)
 毎日新聞社から発行されている単行本の解説で、次男の藤原正彦氏(お茶の水女子大学教授、数学者であり優れたエッセイストとしても知られる)は、新田次郎はモラエスのサウダーデに圧倒されたのだと書いている。サウダーデとはポルトガル語で「愛するものの不在によって引き起こされる、胸の疼くようなメランコリックな思いや懐かしさ」であり、その悲哀は甘美さと表裏一体であるとされる。

 『つぶやき岩の秘密』においても、主人公・紫郎は亡き両親の面影(=声)を求めてつぶやき岩へと赴く。ドラマ中のつぶやき岩に耳をあてるシーンでは紛れもなく哀しみと共に甘美さが感じられ、さらに”サウダーデ”が強調される。基調となる雰囲気を作り出し、またモチーフとなっている。
 『つぶやき岩の秘密』には、新田次郎のサウダーデが投影されていると思う。さらに自然への豊かな情感とも強く結びつき、三浦半島・三戸浜の自然の描写にもつながっていると思う。

(3) 主人公の性格造型

 このドラマの大きな魅力の一つは主人公・三浦紫郎にあるだろう。孤独な影のある少年(原作では小学六年〜中学一年の設定)を佐瀬陽一が好演して、ドラマの雰囲気を際立たせている。今も熱烈なファンの方がいるというが、その理由も良くわかる。このドラマでの佐瀬陽一の演技と存在は素晴らしいと思う。

 さて、三浦紫郎の性格造形だが、幼い頃両親を亡くしたせいか、あまり人と交わることを好まず、孤独の影がある。しかしながら、祖父母は紫郎の成長に気遣い、見守る。「年寄っ子は三文安いといわれないように育てた」と、祖父・源造(厳金四郎)が小林先生に話す場面がある。源蔵が気遣ったかいもあって、紫郎を独立心・自立心が強く、勇気のある少年に育つ。
 紫郎は両親はいないものの、祖父母の愛情を受けて育つ。亡き母を慕い、淋しげな感じはするが、祖父母に愛されて育ったという実感はあるのだろう。心根は素直で優しい少年だ。容易には人に打ち解けない一面があるようだが、小林先生や春雄、白髭さんには素直に愛情を示す。ドラマの第5回で白髭さんを心配して駆け付けた紫郎に、白髭さんはこう告げる。「君は私が思った通りの人間だった……」
 淋しげでありながらも、自立心が強く、心の底は優しい……これが主人公・三浦紫郎の性格造形であり、佐瀬陽一の好演と併せてドラマの魅力の一つになっている。

 さて、この三浦紫郎の性格を考えると、同じく新田次郎原作の『アラスカ物語』の主人公・フランク安田(=安田恭輔)を思い出す。恭介もまた祖父に育てられるが、やがて、祖父と両親を亡くす。15歳という若年で自活し、やがてアラスカに渡る。そしてエスキモーの中に入り、飢餓に陥った彼らを救うべく、内陸部へと移住する。寡黙で独立心に富み、心の底では優しい安田恭輔に、新田次郎は相当惚れ込んだ節がある。紫郎の性格造型どこか恭輔につながるように思う。
 三浦紫郎には、新田次郎の人物への好みが投影されているのかも知れない。

 新田次郎といえば、山を舞台にした印象が強い。また、『武田信玄』をはじめとして歴史小説も数多く著している。
 『つぶやき岩の秘密』は山を舞台にしているわけでもないし、歴史小説でもない。しかし小林先生の弟・春雄が山岳部員で、つぶやき岩の崖に登ろうとするシーン、そして主人公・三浦紫郎が鎌倉期の武将・三浦義澄の直系の子孫であり、それを誇りにし気概を支えている(「三浦義澄の直系の子孫は逃げない…」等)面などは、作家・新田次郎の一面がうかがわれると思う。(新田次郎も諏訪藩の武士の子孫であり、祖父から厳しく躾られたという)

 さらに、新田は短歌や俳句をたしなみ、小説の中に取り入れたり、手紙の中にもしたためることが多かったという。『つぶやき岩の秘密』でも白髭さんの辞世の句「鵜の塚の嘆きに答う彼岸島」が金塊の隠し場所のキーになっているあたり、新田次郎らしさが良く出ているのではないか。

 『つぶやき岩の秘密』の世界を最初に作り出したのは新田次郎であり、堅牢な構成力と自然への豊かな情感を持ち合わせた稀有な作家だった。原作には彼の特徴も十分に出ており、それはドラマにも引き継がれている。新田次郎という作家と原作を知ることは、ドラマをより良く知ることにつながると思う。

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